ロバート秋山の「クリエイターズ・ファイル」で見せる、クリエイター的な側面

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「IPPON」での活躍や「TOKAKUKA」「体モノマネ」など、お笑い第五世代の中でも「バカリズム」と双璧をなす孤高のスタイルを突き進む芸人である「ロバート秋山」

そんな彼は最近、フリー ペーパー『honto+』にて「クリエイターズ・ファイル」連載を持っているのだが、それがとにかく面白い。

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ロバート秋山が各界のクリエイターになりきり、インタビューを受ける

本誌の連載だけでなくYoutubeにもインタビュー映像が公開されているのだが、人物の設定から言動まで、とにかく秋山ワールド全開。

「ジェネラルCGクリエイター磯貝KENTA」
スローフード・アドバイザー セレス・C・グロース」
「プロスカウトマン 荒井裕次郎」
インディアンジュエリーデザイナー 小野幸次郎(インディアンネーム:グランドイーグル)」

ピックアップする肩書きだけみても、ロバート秋山らしさがでているが、名前もそれっぽいところがミソ。

言っている内容は完全に理解不能だが、喋り方とか仕草がいかにもな感じを出しているし、
インタビューの構図やちょいちょい差し込まれるスチールのカットも、それっぽい。

ロバート秋山という新しい「憑依型芸人」のスタイル

こういったスタイルを「憑依型芸人」と称すなら、先駆者としてはやはり「タモリ」だろう。
伝説の4ヶ国語麻雀や中国人ラッパー、「ヨルタモリ」の企画「世界音楽旅行・紀行」で見せた各ジャンルの外国人ミュージシャン(レゲエミュージシャン、カズ・マーリーなど)になりきるなど、その歴史は深く、そして常に進化し続けている。

比較的新しいところだと「友近」や「中川家 礼二」
友近であれば親戚に一人はいそうなおじさん像である「西尾一男」や、礼二であれば「グアムの税関職員」「通天閣のおじさん」など、どこにでもいそうだが個性の強い人物像を的確に切り出し、それになりきるスタイル。
比較的身近なところに共感を覚えさせ、それを笑いに消化。

対象が明確になっていない「人物像」としての「ものまね」の中に強烈な風刺性をもたらしたところでいくと、昨年放送された『ENGEIグランドスラム』で、「嫌いな女性のタイプを全て詰め込んだ」という「バカリズム」の「女子と女子」のインパクトも凄まじかった。
まあ、もはやここまでくると、ものまねというより「女子嫌いのフラストレーション」を全力でぶつけた負のエネルギーがあまりにも強烈過ぎて笑いのレベルにまで達したという新しい形だと思うが....

いずれにせよ、これらの芸人に共通するのは圧倒的な人間観察力だと思うのです。

人の特徴やクセ、それを極限まで観察し、その人の気持ちになって演じきる。

ロバート秋山も古くは「はねトビ」の頃からいかにもうさんくさいマルチ商法の勧誘を演じた「グローバルTPS物語」や熱狂的ビジュアル系のおっかけを演じた「黒族」など「憑依型」スタイルを得意とした芸人だった。

しかし、上記に挙げたスタイルはいずれも、あくまでも憑依する側の主体に立ったモノマネであり、主体的な自己表現をメタ化しているわけです。

ロバート秋山が現在進行形で取り組んでいる「クリエイターズ・ファイル」で演じているのは、「各界のクリエイターになりきる」という点では憑依する側の主体に立ったモノマネではあるが、「インタビュー」という形をとることによって、主体的な表現と客観的な表現を一つの人物像の中で作り出していくという点で画期的なのである。

映像を見ていただければ分かりますが、インタビューに応じている時は、いかにもいいそうなことを並べているだけではあるものの、「受け手」としてなりきった人物の内面を客観的に表現するところにまで踏み込んでいるのである。

モノマネをする対象の主体的な自己表現だけではなく、バックグラウンド含めた内面を徹底的に作り上げることで、「身も心」も憑依し、なりきった人物の人間性にまで踏み込んで演じるのだ。

一番興味深かったのは「TVプロデューサー」と「放送作家」の2役を演じたWインタビュー。
ロバート秋山一人でその2役になりきり、それぞれの内面を含めた人物像を秋山の中で作り出した上で、両者のコミュニケーションを成立させていく。
演じているのはロバート秋山なのだが、そこには紛れもない二人の個性が存在し、内面に潜む個性同士をぶつけあわせてインタビューという客観的なシチュエーションを作り出しているのである。

ロバート秋山の笑いに潜む、強烈な批評性

また、「インタビュー」という客観的なシチュエーションを演じ、「いかにも言いそうな」だけども内容としては「支離滅裂」というところにこの企画の面白さがあるが、そこには批評性があると考えるのは少々考えすぎだろうか。

「クリエイター」という冠がついたことによって、人によっては「自分とは違う次元」というフィルターを通してみてしまう。
「クリエイター」という冠に「お笑い」という装飾をつけることで、デフォルメしたものではあるものの、とても滑稽に見えてくる。

バンクシーのドキュメンタリー作品「イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ」でも、「アート」というフィルターを通した瞬間に、ただのガラクタが世界中の人々を騒がせる「作品」に変わっていく様子を非常に滑稽な視点で描いているように、ロバート秋山も「クリエイター」というフィルターを通すことで脚色されてしまう本質を批評的に表現しているようにも感じたのである。

ロバート秋山はクリエイターなのか

松本人志はかつて著書のなかで「貧乏」だった幼少期を振り返り、モノを十分に買い与えてもらえなかったから、限られたモノの中でどうやって遊ぶかという想像力を鍛えられたといった旨を述べていた。

広告ビジネスを中心に多くのビジネス書籍で描かれている言葉に「想像力=創造力」というのがある。

芸人というのは、想像力を使って、一つの事象から「笑い」という要素を抽出する非常にクリエイティブな職業だと思っている。

今回の秋山の企画は、インタビューという客観的に内面をさらけ出すシチュエーションを舞台に、その想像力を「人物の内面」にまで踏み込み、「笑い」に昇華させている。

表面的な模写は、技術によって完成度を高める職人芸的なところであり、いかに模写する対象が「笑い」につながるかという点で想像力が求められるものだと思うが、「人物の内面」に踏み込み、客観的な場においてどのような表現を行うかまで想像力を膨らませていくことが、容易いことではない。

一人の人物の内面を極限まで膨らませた想像力で作り出し、「笑い」というアウトプットを生み出しているロバート秋山は紛れもないクリエイターではないだろうか。

2017.09.02追記
ついに「Documental(ドキュメンタル)」のシーズン3に登場しましたね。「くっきー」「ケンドーコバヤシ」といったベクトル違いの「やりたい放題」キャラとの全面激突は見ものです。

Amazonプライム配信の松本人志の新作「Documental(ドキュメンタル)」は地上波じゃできない究極の芸人ドキュメンタリー (若干ネタバレあり)


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