宇多田ヒカルがフックアップしたくてしょうがないってことだけでも圧倒的に注目度が高くなってしまったOBKRこと小袋成彬。ついに1stアルバム「分離派の夏」で全貌が見えてきたけど、どアタマからとんでもないもの出してきたな、小袋成彬・・・
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文句なしで完成度高すぎる「分離派の夏」
宇多田が新人をプロデュースするというセンセーショナルなニュースが駆け巡り、そこからドロップされたLonely loveで、小袋成彬の存在に度肝を抜いたのは1月のこと。
裏方に徹し続けてきた、どっちかというと内向的なタイプなのかなと思っていたが、そこから三ヶ月後にリリースされた「分離派の夏」の静かながらも異常な熱量篭ったアルバムに完全にやられました。
「分離派」といえば、歴史的に宗教やら芸術などでオルタナティブな潮流を示す言葉だとざっくりと理解はしているが、なんとなくアカデミックで文学的な言葉をイメージをして、内向的な文学的な作品を想像を勝手にしていた。
確かに、音の作り、言葉の選び方、曲目の構成にはソフィスケイトというか、文学的で都会的なアカデミックさはあるのだが、結構ちゃんと聞いてみると、実はすごく日常的というかなんならちょっと泥臭い言葉選びをしているような気もする。
特に、全編を通して、「酒」というワードがとにかく出てくるのが気になった。よっぽど酒好きなんだろうかとも思ったが、これだけ洗練された音楽の中で「酒」という言葉の野暮ったさ、泥臭さが妙に際立つ。
その音楽性、特徴的なファルセットボイスから和製ジェイムス・ブレイクとか言われたりもする小袋成彬ですが、さすがにジェイムス/ブレイクは「酒」とか歌わないだろう。
すごい普遍的な言葉ではあるが、妙に彼の曲の中で「酒」という言葉が強調されて聞こえてくるというか、彼の日常がそこはかとなく透けてみえるような気もしてくる、「酒」という言葉一つに。
彼にとっての「酒」は日常的なものであるだろうが、それ以上に意味深いアイテムなのではないだろうか。全般的に短い曲群の中で、妙に際立って聞こえる、妙に泥臭く、生活感があり、そして耳に残るワード「酒」
個人的に、あまりお酒を飲まないし、なくてもなんとかなる人間ってこともあるのかもしれないが、妙に「酒」の印象が強い。
その世代的な感覚を、想像したくなった
音楽的な部分で言えば、職人的なプロダクションセンス、その一言に尽きるだろうと思うが、自分より5歳以上年下の人間が何を体験し、何を考えるとこういうものができるのか、ものすごく興味があります。
職業柄、世代や属性、ペルソナ的なターゲティングは最大公約数で考えることが多く、良くも悪くも「最近の若者は〜」的なひとまとめにしたものの見方をすることが多い。
正直、理解不能だが、理解しておくことにしないとやってられないことのほうが多く、そういう意味で自分より若い世代にいつからからわざわざ興味を持つことはなくなっていった気がします。
地方に生まれ育ち、関西で泥臭い学生生活を送り、都会とも地方とも言えない微妙な街で暮らす自分にとっては、東京の今の20代が日々の暮らしで考えることなんて正直想像もつきませんが、小袋氏が作品を通して描く心象風景は、妙にウェットで生々しく、やるせなさの奥にある熱量みたいなものを強く感じました。
いわゆる僕らより下の世代が「さとり世代」なんて言われて久しいですが、決して世の中にしらけているわけではなく、社会に対して自分をメタ化した上で、どう次の世代に向けて戦っていくのか、といった内なる意思がある世代なのでは?とも。年齢的には、中嶋イッキュウも近しいが、彼女の場合は、良くも悪くも地下アイドルのそれに近いというか、ある意味では現代的なアプローチではありつつ、またちょっと違う。
決して冷めているわけではなく、むやみに熱量を表には出さない。それも諦めではなく、必然性の中で処理をしていく。むやみに社会に迎合しない、取捨選択の中で、言い方悪いかもしれないがしたたかに、だけども人間の体温的な感覚はきちんと持っている。マーケティングに飲み込まれるわけでもなく、世の中を俯瞰しながらも、自らが何ものであるかを自認した上で、アウトプットを抽出していく。主体と客観、どこまでが主体で客観なのか、それすらも曖昧な、分離派とは。
小袋成彬。こういう人が出てくるから、まだまだ音楽も面白い。