日本が誇る孤高の存在にして、リアルジャイアンこと吉村秀樹がこの世を去って早いもので3年。
10代の頃、憧れに憧れたbloodthirsty butchersについて、自分なりに振り返ってみたい。
スポンサーリンク
Number girlが憧れた存在
高校生の頃、Number Girlの「鉄風、鋭くなって」のMVをSSTVで初めて見たとき背中に閃光が走り、向井秀徳のビジュアル、アグレッシブすぎる地味子の田淵ひさ子、直線的かつルードなベースである中尾憲太郎、ど頭から最後までがすべてフィル回しのような太鼓たたきのアヒトイナザワ、それれの奏でる「轟音」「絶叫」「鉄の音」の圧倒的な破壊力の音楽性に、これまで聞いてきた音楽全てが霞むくらい、衝撃的な音楽に出会ったと、直ちに心酔することになった。
そんな「福岡県博多区から来たNumber girl」はその音楽性に出会ったのもつかの間、2002年に解散してしまう。
解散ライブ「札幌ペニーレーン」で、Number girl史上屈指の名曲「omoide in my head」にはいる前のMC(当然、現場にはいけなかったので後でCDで聞いたのですが)のなかで、札幌で終わりを迎える理由について、「敬愛するアーティストたちが生まれた北の地で締めくくりたかった」と語った向井。
向井が敬愛する北のアーティスト、それはeastern youth、cowpers、THA Blue Herb、そしてbloodthirsty butchers。
「けものがれ野生の猿と」という映画のサントラに収録されていた「燃える、思い」は聴いたことがあったものの、その時はまだきちんときけてなかったbloodthirsty butchers。
地元のCDショップには売ってなかったブッチャーズのCD。
ようやく聴くことができたのは、「ベストアルバムBlue on Red」「ライブアルバムGreen on Red」が発売された時だった。
受験勉強を支えてくれたのはブッチャーズだった
三重の高校の同級生たちとの肌感覚が合わず、その頃からコミュニティに依存しないことを意識している中、ただ黙々と自宅に篭ってひたすら受験勉強に勤しんでいた。
Number girlが好きっていう同級生もいない中、音楽という意味では本当に分かり合える友達もいなかった。
あえて選んだ孤独な戦いの中で、ひたすらその2枚を聞き続けながら自宅に困る日々。
普通に考えても、歌も上手くない、そして不安定で千細い声。
だけど、繊細で抽象的な歌詞、そして轟音ディストーションギターに、とにかく動き回るベース。
Number girlの殺伐とした切れ味や、Pixiesに影響を受けた轟音の中にもポップさのある音楽性とはかなり異質の、紛うことなき唯一無二の音。
鬱屈していた思い、やりきれなさ、孤独な戦い、まるで寄り添ってくれているようにも感じるブッチャーズの曲。
「人の上に人をつくらんと、歌い、文句やじられ下された世界君主よサヨウナラ」
「行くなと言うが、我慢はできぬ、汚れた指で地図をなぞった」
当時、付き合っていた女の子と離れ、関西の大学を目指していた自分にとって、自分の未来を掴むため、惹かれる後ろ髪を振りほどこうと、必死に自分の進むべき道に突き進もうとしていた。
kokorono
2004年、関西の大学に進学。
初めての一人暮らし、近所を探索すると一軒の中古CD屋を発見。
そこで、もはや説明不要、日本ロック史上に残る傑作「kokorono」を手にいれる。
勇み足で自宅に帰り、CDを入れて再生して5秒。
「2月」のイントロ、最初の出音で鷲掴み
塊のようなディストーションの音は、ずっとギターの音だと思ってたが、実は射守屋さんのベースの音だったことがわかったのは結構最近。
北の大地の雪景色を想像してしまったのは、彼らが北海道出身ということを知っていたからというのもあるが、「しんしん」とした趣ある雪というより、重々しく厳しい豪雪が浮かんだのと同時に、若さゆえの不安定な心情の中に滔々と湧き上がる熱さみたいなものを感じたのである。
そして、問答無用の「7月」
すでにyoutubeでは削除されてしまったが、伝説の99年RSRでのライブ。
「この曲をやりに北海道に帰ってきました」
本来、サニーデイサービスで朝を迎える予定だったのが、押しに押して、ブッチャーズの時間に朝が訪れたという奇跡。
以前も「ジャンルを超えたエモ」の中でご紹介した通り、日本のロック史上もっともエモいアウトロ。
そして、この2010年FRFでの演奏も、99年RSRに匹敵するくらい個人的には胸を揺さぶられました。大人になってたまるものか、と吐いた吉村秀樹なりの大人への抵抗と、子を持つ親としての否が応でも向き合わざるを得ない大人としての自分の一つの答えみたいものが、荒々しい狂気の中に見える角の取れた純粋さみたいなところに感じました。
ところが実は、最初は「7月」よりも「8月」に心を一番揺さぶられました。
梅雨が明けて爽やかに夏に向かっていく7月からの流れという意味での8月は、燦々と照りつける熱さと終わりゆく夏の儚さ。
夏、それもまた青春という時代においてはエモーショナルな季節であるが、「このまま夏が終わらなければいいのに」と、名残惜しさを感じるのが8月の後半。
甲子園が始まる頃は夏真っ盛りだったのに、閉会式で国旗掲揚されるとき、テレビ越しに映る空は、なぜかいつも秋の空を感じてしまう。
終盤に向けて徐々に加速していく展開、そしてアウトロでのギターソロと絡み合うベースに、夏を駆け抜けると同時に、どこかで終わって欲しくない名残惜しさを感じる。
個人的には7月のアウトロに匹敵、いやむしろ、それ以上に季節感にリンクする心象風景を奏でるアウトロだと思う。
僕が夏の終わりに生まれたというのもあるのかもしれないけれど。
△+1 田渕ひさ子の存在
当時、僕にとってのNumber girlは向井秀徳以上に「田渕ひさ子」の存在感にヤラれたといっても過言ではない。
初めて「TATOOあり」のリフを聴いた時、これまでに聞いたことがない音であるとともに、向井秀徳に匹敵するくらい「地味」な女の子が鳴らしている音だということのほうが、当時の僕に与えたショックは大きかった。
ブッチャーズを聴き始めた時には、すでに田渕ひさ子がブッチャーズに参加していることを知っていたが、正直なところNumber girlという存在が自分の中で大きすぎて、Number girl以外の田渕ひさ子の活動は意識的に避けたい気持ちがあった。
Zazen boysも4枚目が出るときまで、ずっとNumber girlの影を気にしていたので意識的に避けていた。
Number girlをなるべく意識せずに、ブッチャーズを聴きたかったからこそ、「Blue on Red」「Green on Red」から聞き、そこから過去を掘り返す聴き方をしたかった。
とはいえ、「Green on Red」では一部田渕ひさ子も参加してたのだが...
そして、ブッチャーズの過去を掘り返すうちに、圧倒的な個性を兼ね備えた「△」への「+1」、そしてそれが「田渕ひさ子」であることが受け入れられなかった。
ある意味では「ドリームチーム」「盆と正月が一緒にきた」ようなものなのに、天邪鬼だった僕はブッチャーズの中にナンバガを感じたくなかったわけである。
そうして、結局田渕ひさ子正式加入後の最初にリリースされたアルバム「birdy」も聞くことに躊躇いを感じ、以降の新譜についても積極的に追うことをやめてしまった。
社会にでたことで気づいたブッチャーズの本質
大学生だった当時は受け入れられなかった「△+1」のブッチャーズ。
社会にでて、思い描いていた夢は、泥臭い現実にあっという間に塗りつぶされていた頃、ふとラジオで聞いた「 jack nicholson」
いうまでもなく、ブッチャーズを代表する名曲だと思うが、「△+1」を受け入れられなかった自分にとっては、ブッチャーズの曲ではないとずっと思っていた曲。
「君がこの先大人になっても、悪い大人のお手本でいたいんだ」
月並みな言葉でいえば、泥臭い現実に失望していた自分に「ギラギラしていた気持ちを思い出せ」と、そんなメッセージを感じたのだが、それはただ「人生の励ましソング」的な話。
「このスピードを保っていたい、このバンドで踏み込んでいたい」
このフレーズに、それまでの「△+1」への天邪鬼な感情が吹き飛んだ。
「△+1」になったのはブッチャーズにだけの変化だけではなく、吉村秀樹の人生においても岐路だったわけであり、きっと吉村秀樹も「大人」になる自分を意識した時期だったのだろう。
かつて「大人になんてわかってたまるか」と吐き捨てていた「△」は、歳を重ねることと「+1」によって丸くなることを意識してしまった。
「△」を「◯」にすることなく、更に尖らせつつ形を変化させていくことを決意したからこそ、田渕ひさ子という「+1」が加わるタイミングでこの曲を作ったのだということに気づいた。
環境の変化や現実は簡単に自分を小さくさせる。
だからこそ、「変わること」と「変わらない」ことを歌った。
社会に出ることで大きな変化と現実を見たからこそ、「△+1」になったブッチャーズに込めた吉村秀樹の意思に気づけたことで、「△+1」を受け入れることができるようになったのである。
伝説になっちゃいけないんだよ
2011年に、ブッチャーズのドキュメンタリー映画「kokorono」が公開。
本質的な吉村秀樹の無垢さが生々しく描かれるとともに、奇跡的な個性のぶつかり合いの不安定さ、その不安定さを支えているのが唯一無二のベーシスト射守屋であり、ブッチャーズとは射守屋によって形象崩壊を間逃れていることがよくわかる秀逸な作品というのがその時の印象。
「△+1」を受け入れ、子を持つ親となっても変わらない吉村秀樹の純粋無垢な理不尽さはリアルジャイアンであり、どこまでも孤高の人なのである。
こんな不安定な吉村秀樹がいるブッチャーズが解散しないっていうのもある意味奇跡であり、ブッチャーズ=吉村ではなくブッチャーズ=射守屋ということがよく分かる。
結局、吉村はどこまでいっても吉村であり、コントロールのできない存在を奇跡的なバランスで保っているのがブッチャーズだということ。
孤高の存在、吉村はブッチャーズによって支えられていた。
「伝説になっちゃいけないんだよ」
劇中で吉村はそう言った。
常に現在進行形であること。
しかし、いつ壊れてもおかしくないほど不安定なブッチャーズというバンドにおいては、それだけでも「伝説」と呼ぶにふさわしい「奇跡」だったわけである。
「伝説になっちゃいけないんだよ」
その2年後、吉村秀樹は突然この世を去る。
伝説になっちゃいけないって言った本人が、いなくなる形でブッチャーズの歴史は幕を閉じてしまった。
「伝説になってしまった」吉村秀樹
自分で作った曲なのに、あまりにも極端なチューニングと自己流で考えたコードが仇となって自分でも再現できなくなるような曲を作り、他人のギターをライブで地面に叩きつけ、常人にはとても理解しがたい行動や理不尽な振る舞いで他人を巻き込む吉村秀樹。
孤高の存在も、社会的に考えれば、一瞬で孤独になり得る存在だが、有り余る人間臭さが、孤高だが孤独な存在にはしなかった。
「伝説になっちゃいけない」と言っておきながら、「伝説」になってしまった吉村秀樹は最後の最後まで自分勝手な人間だった。
残された身にもなれよって、みんな思ったけれど、それが吉村秀樹らしさなのかもしれない。
はからずとも、生前最後に発表したアルバムは「youth(青春)」
身勝手で理不尽で身勝手だった若者は、結局最後まで変わらないままだった。
彼にとっては、死ぬまで「青春」だったのだろう。
映画「kokorono」のワンシーン
このシーンこそが、吉村秀樹という存在を一番表していると思う。
彼の内に秘めたいつまでも変わらない純粋無垢な感情を全てギターに込める。
その繊細さ、エモーショナルさ、それが吉村秀樹の魅力であり、いつ壊れてもおかしくない脆い才能を支えるスタビライザーがbloodthirsty butchersだったのではないだろうか。
[amazonjs asin="B00DV6VN9M" locale="JP" tmpl="Small" title="youth(青春)"]
[amazonjs asin="B004M6ZWDS" locale="JP" tmpl="Small" title="kocorono DVD"]
[amazonjs asin="B0031LSWG4" locale="JP" title="kocorono完全盤(紙ジャケット仕様)"]