フジロックの生みの親、SMASH日高氏のインタビューが超面白い

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フジロックなんて、もう何年も行ってないですが、雨後の筍のように膨れあがった野外フェスの中でもやっぱり別格というか、フェスっていうカテゴリーにくくるのもおこがましい、そんな独特の空間を作り上げた「大将」こと、SMASH代表「日高正博」さんのインタビューがフジロックオフィシャルショップ「岩盤」によるウェブメディア『富士祭電子瓦版』に少し前に掲載されてました。

フジロック生みの親、日高正博氏インタビュー『前編:フジロックができるまで』

フジロック生みの親、日高正博氏インタビュー 『中編:あのときフジロックで起きたこと』

フジロック生みの親、日高正博氏インタビュー 『後編:フジロック ついに約束の地、苗場へ』

 

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SMASH設立からフジロックを作るまでの、超濃厚なプロセス

実は昔、とあるきっかけで日高氏にお会いしたことがあったのですが、まあ、とにかく豪快。
本人も豪快なのですが、その周りにいる人たちも常人には考えられないような豪快な人たちばかりで、「そういう熱量のある人たちがああいうぶっ飛んだイベントを作ったんだよな」って納得したのを覚えてます。

記事の内容も、そんな日高氏の超絶豪快エピソード満載で読み応え十分。
おそらく、これでも書いていいことをかなり厳選しているんだろうなって感じですが。

インタビューの内容は、日高氏が元々勤めていたマネジメント会社を辞めて独立するところから話が始まるのですが、マインドがとにかく「ロック」

イスが邪魔なら壊せばいい、呼びたい人がいればなんとしてでも口説きにいく、誰もやったことないことならやってみればいい。

「ロック」マインドと熱量に、周りが同調し、「無謀」を次々に叶え、信頼関係を築いていく。

日高氏の人柄が伺えるわかりやすいサクセスストーリーではあるものの、一番の見所は要所要所で見せる「ビジネスマン」としてのリスクに対しての判断力。

アーティストやお客さんのリスク回避の為なら、機会損失も厭わずリスクを全て受け止めるからこそ、長期的な信頼関係に繋がる。

常人には真似のできそうのない「行動力」に目が行きがちだが、実はリスクに直面した時の「判断力」こそが彼の凄みである。
常に相手のことを考え、リスクを背負う覚悟を持つからこそ、多くの人に慕われ、初回で凄まじく大きな失敗を経験しても、毎年20万人近くが訪れる超大型イベントを作り上げることができたのだと思う。

フジロックは日本人の意識を変えたのか。今のフェスを見て思うこと。

記事中に、フジロックを始めるにあたって日高氏が後年「朝霧JAM」を開催する場所に交渉にいったとき、「若者たちに都会を離れたところでの音楽の楽しみ方を提供し、将来的な自立心に繋がっていけば」といったことを伝えたとありました。

ライブやコンサートというのは本来受動的な空間であり、当時はそんな大規模な野外イベントも多くなかったからこそ、日本人の感覚も「受動的な大型イベント」という認識しかなかったのは想像に容易い。

提供する側としてはファシリティやホスピタリティというのは意識しなくてはいけないのは当然ですが、お客さんの「自立心」を試す物差しがない状態の中で「自立心」を養う為に何をどこまで提供すればよいのか、というのはかなり難しい課題であったと思う。

「雨降ったらどうすればいいのか」とか、そんなことも今では当たり前に対策できるけど、当時はきっと誰も想像できなかっただろうし、「運営がなんとかしてくれる」と依存していたと思う。

そして、台風が来て初回から最悪の状況が訪れた。

当時の普通の考えであれば2度とやりたくないと思うけど、それを乗り越えようとしたことによっ今に至るフジロックと「野外フェス」に対し「自分のことは自分でする、自分の身は自分で守る」という意識を人々に植え付けることができたのだろう。

ビジネスとしてではなく、「音楽を通じて、自立心を身につける」というコアとなる考え方があったからこそ、初回からの大惨事にも懲りることなく貫けたのだとは思う。

ところで最近のフェスってどうだろう。

個人的にはあまり行く機会がなくなってしまったものの、「フェス」というものが一般的になってきて、差別化を図る為に様々なコンテンツを要し「個性」を光らせたものが世の中に溢れてきている。

例えば、愛知県で毎年行われる「森、道、市場」については所謂「蚕の市」の要素を含み、「音楽と自然に触れ合いながら、全国の手仕事の作品や食べ物に触れる」というものになっている。
今年は「キナリノ」で紹介されたこともあって、「蒲郡」という愛知のマイナーな街にもかかわらず全国から多くの人が訪れていたのが記憶に新しい。
実際に関東や関西に住む友人にばったり遭遇するなど、「フェスとしての個性が全国に広がっている」ことを実感した。

他にも「街おこし」として行政が関わっているもの、果ては三宅洋平氏が一時期「音楽を通じて政治に関心を持ってもらう」という意味で「選挙フェス」みたいなものを行っていたり「音楽を通じて、何かに触れる空間としてのフェス」というのが多くなってきている印象であるが、それらは受動的な空間であると分析する。

日高氏の掲げた「自立心を養う」という意味でのフェスとこれらのフェスはそこが決定的に違うのだが、「フェスを通じて、何を伝えるのか」が大事であり、その価値観が多様化している中でメッセージを「フェス」に込めるという意味では非常に健全なフェーズに来ていると思う。

ただ、「野外」という自然の中で何かを行うということは、最低限のマナーと自立心はどこまでいっても必要。

例えばゴミ。

ゴミ箱が少ないフェスをよく見るが、「自分で持ち帰る」ことを前提に考えられているのではと分析しているが、ゴミ箱がないことに不満を感じる人は多く、そういったお客さんが多いフェスに限ってゴミが散乱していたりするし、誰も拾わない。

「自分のことは自分でする、自分の身は自分で守る」というメッセージが込められたフジロックから始まったフェス文化は時代を経て多様化してきている時期に来ているが、「自分たちだけが楽しければそれでいい」「誰かがなんとかしてくれる」といった受動的意識に対して、個性の多様化したフェスが溢れかえる中でも、最低限のマナーと自立心を養う場として「フェス」が機能していって欲しいと願うものである。

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