「兵士A」につながる歴史的名作「911FANTASIA」は七尾旅人の一つの到達点

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希代のシンガーソングライター「七尾旅人」が「兵士A」というアルバムが最近発売されました。
「2015年11月19日のライブ」を収録した音源ではあるものの、ただのライブではなく、重厚なストーリーを歌と楽器で表現した、ある種「演劇」に近い内容で当時twitterでは話題になっていました。
「演劇」的な表現という意味では2007年発売の「911FANTASIA」のことがどうしても頭をよぎってしまいます。

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表現者としての七尾旅人

僕自身、七尾旅人のことを知ったのは今をときめくDJ「やけのはら」との共作であり、「21世紀の、今夜はブギーバック!」と評された「Rollin' Rollin'」でした。


ちなみにトラックは、まだ知る人ぞ知る状態だった「Dorian」

発売された2009年から2010年当時といえば「やけのはら」や「Dorian」、Pan Pacific Playaの「LUVRAW&BTB」や「ZEN-LA-ROCK」「PSG」などが軒並みアルバムをリリースしたり、大阪のローカルDJだった「okadada」が当時日本で始まったばかりのUSTREAMで2,200viewerを獲得した伝説の「クリスマスイヴの奇跡」や、まだ19歳だった「tofubeats」が「BIG SHOT IT UP」でitunesエレクトリックチャート1位を獲得を獲得するなど、今振り返ってみても音楽の風向きが一気に変わったと思う時期でした。
そういえば「DOMMUNE」が始まったのも2010年。改めて凄い時期だったと思う。

僕自身もそういった「テン年代」の幕開け的な流れで「Rollin' Rollin'」を聞き、「声がいい」程度の印象くらいで七尾旅人のことを捉えていたものの、その時期に発売された「vilions voice」があまりにも実験的な内容だったことに衝撃を受け、「ただのシンガーソングライター」とは一線を画していると、その当時は思いました。

3.11以降で「911FANTASIA」を手に取る

しかし、翌年2011年の東日本大震災で、一気に日本中の空気が変わりました。

あの当時、抗うことのできない自然の脅威の前に「音楽の力」というものが、しきりに議論されていたと記憶しています。

あのような状況で必要とされる「音楽」とはなんなのか。

「勇気づける」「希望を与える」といった本来の音楽が持っている力ですら「不謹慎」「偽善」になり得る状況だったし、結局のところ「音楽」は「絶望的状況」の前では「無力」なのでは?という思いを抱えた人も多かったと記憶しています。

震災直後、計画停電の話も上がりつつある中、「DOMMUNE」では数々のアーティストが「Play For JAPAN」の思いを旨に演奏を行っていました。

それが直接被災者に届くわけでもない、だけども暗く下を向きつつあった日本全体に対して「元気」を与えるためであったと思います。
チェーホフの「3姉妹」ではないですが、「生きていかねば、生きていかねば」という思い。

その一連の中で、七尾旅人が行ったパフォーマンス。
スタジオ中の明かりを全て消して、ロウソク一本を頼りに、「歌」と形容するには抽象的で、まるで「七尾旅人」というシャーマンによる「儀式」とでも言えるような、全ての神経が吸い込まれそうになる「演奏」に再び衝撃を受けました。

そんな中で手に取った「911FANTASIA」

3枚組2時間51分の超大作

「天才少年」と鳴り物入りでデビューをしたものの、90年代末期以降の変化に取り残される形で不遇の時代を過ごした七尾旅人が「命を引き換えにしてもこれを作る」という覚悟を持って生み出した「911FANTASIA」

ネット上の評価も非常に賛否両論で、いろんな意味で話題をかっさらったこの作品。

存在は知っていたものの、「内容がヘビーすぎる」という評価のためになかなか聞こうとしていなかったのですが、「3.11」直後の「DOMMUNE」での神懸かり的なパフォーマンスを体験したことで、ようやく向き合ってみることにしました。

3枚組2時間51分の超大作。

「戦争」というテーマの中に込められた、これでもかというほどの重厚なストーリー。
「歌」としてではなく、「物語」を紡ぎ出す「楽器」としての「声」が延々と繰り広げられる。

「ロックオペラ」なんて生ぬるいものではなく、言うなれば「耳」で見る「演劇」

聴き終えた時「もう2度と聞きたくない」と思ったくらい疲れ切るほどの圧倒的な緊張感。

bloodthirsty butchersの歴史的名盤「kokorono」も吉村秀樹が「30代になる前に、歴史に名を残す作品を作りたい」という思いを全身全霊込めて作り上げたという話もあるが、七尾旅人の「911Fantasia」も、「これを作らずしては、音楽家として死ねない」といった執念が垣間見れます。

戦争という、生温くできないテーマと向き合う

戦争を経験した老人が自分の孫に戦争の狂気を語りかける形で展開されていくこの作品には、「反戦」というキーワードが最後まで出てきません。

こういう言い方をすると誤解を招くかもしれないことを承知で申し上げると、音楽で「反戦」を唱えると、どうしても「Love&peace」とか「武器を捨てて楽器を持とう」とか、戦争を捨てるメッセージを込める方向に向きやすいと思っています。

確かに、「愚かな争いをやめよう」というメッセージは根本にあるべき考えであり、そこを唱えることは何一つ間違いのない根底あるべき考え方ではあると思います。

しかし、「911Fantasia」においてはダイレクトな「反戦」ではなく、全編を通じて「戦争」が生み出す「狂気」を語り部的な視点で映し出すことにより単なるメッセージソングではなく「レベルミュージック」としての批評性が高い作品に仕上がっています。

07年当時、この作品の評価が分かれたというのは、おそらくその批評性の高さが「音楽」として捉えにくい状況にあったのではないかと思いますが、3.11以降「生温くない現実」に対して「音楽の力」が試されたことによって、皮肉にもこの批評性が高い作品が誠に評価される時代になったのではないかと思います。

敗戦国であり世界で唯一核を落とされた国は50年以上の歳月の中で、9.11以降の出来事をあくまでも遠い国の「事実」としか見ることができなくなり、その「凄惨な現実」を自分事にできなかった。

「命を引き換えにしてもこれを作る」覚悟を持って作られたこの作品は、戦争がもたらす「狂気」に真っ向から向き合い、自分事にできない「凄惨な現実」を直視すべく作られたかのようにも感じます。

フィクションでありながらも、リアリティを感じさせる狂気こそが自分事にできない「現実」に潜むということを、「声」をツールとして扱った「音楽」による物語を表現することによって、演劇的な批評性を帯びた特異な作品に仕上がったのではないでしょうか。

とはいえ「air plane」など、音楽的にも非常に素晴らしい楽曲も含まれた作品でもあるので、確かに「そこはかとなく重い」作品ではありますが、七尾旅人の音楽家としての才能に触れるという意味でも一聴の価値はあると思います。

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